友達と仲間の違い

2ちゃんねるの管理人やニコニコ動画の取締役もしていた「ひろゆき」さんはDIMONDのインタビューでこう語っています

『炎上とか批判コメントをここ20年以上、ずっと見てきたんですね。

批判コメントを書く人は、「全体の1~10%の人」なんですよね。

90%以上の人は、「ただ見ているだけ」です。

僕はネットの裏側の数字をずっと見てきましたが、この数字は20年以上変わりません。

一部の人がたくさん時間をかけて書き込んでいるだけです。

その特徴はたった1つで、「ヒマな時間とエネルギーを持て余している」ということです。

少なくともネットに書き込み続けている時間は、友達や家族と一緒に過ごすことも、趣味に打ち込むこともしていません。

そうやって(批判をする事で)エネルギーを使い果たしたら、また他の標的を探すことでしょう。

人間って、何もせずにダラダラ過ごすのも難しいですからね。

刺激を求めて、スカッとストレス発散するような行動が必要です。

そのために、コメントの書き込みはうってつけのツールですよね。』

こう辛口コメントを残しています。

人は何故怒るのか?

会社内でも悪口や誹謗中傷、愚痴や不平不満をいつも言っている人が一定数存在します

私もその話しにつられてしまって帰ってから反省することもしばしばです

ただこういった事は、誰しもに当てはまることなのではないでしょうか?

ひろゆきさんがおっしゃるように暇な人のエネルギーの発散もあると思いますが

この批判、悪口、誹謗中傷とは、「何かに対しての怒り」であるとも捉えることができます

人はある程度物事を「予測」して生きています

その予測が外れると危険回避行動にスイッチが入り怒るという行動にでることが分かっています

例えば

車で道を走っていて「急に飛び出して来た車」があったら

「あ、危ない」っと思った直ぐ後に、なんて危ない運転をするんだ!と怒るのです

人はある程度物事を予測して生きているという事

つまり自分の予測通り(期待通り)、思い通りにならないとフラストレーション(欲求不満)をためることになります

このフラストレーションとは不満や不安によって生じる性的興奮です

この性的興奮を自身でコントロールする行動が、怒り、愚痴、不平不満、批判などの行動に繋がっていきます

怒らない、愚痴を言わない、不平不満をこぼさない、他人を批判しない

このような人は、世の中が自分の思い通りにならないことを「予測」して生きています

他人に過度な期待を寄せて変えようとしない

道を走っていても急に誰かが飛び出してくることもあるだろう

何か不測の事態が生じたときには、自分の行動や発言などに問題があったのではないかと考え

問題を他人のせいにしない

そんな聖人君子な人いないと思いますか?

実は、多くの人に尊敬されている上司や経営者は、このような思考をもった方が非常に多いのです

悪口への対処法

愚痴や不平不満とは、自分の心が弱った時にはより多く出てしまいます

他人の悪口が出てしまう時は、自分がその人より劣っている

負けている時に相手を悪く言う事で自分を相手より偉く見せようとしたり、自分の方が正しいという主張をします

しかし

愚痴をこぼせば、能力が止まり

悪口をこぼせば、信用を無くす

あなたの前で悪口を言っている人は、あなたがいない所であなたの悪口を言っています

愚痴は、いずれ不平不満に姿を変えて腹の中に溜まって行きます

腹に溜まった黒い物は、自分を中から壊して行きます

精神的に弱くなり余裕がなくなって行きます

悪口や誹謗中傷、不平不満という種を撒けば、それが実った時に自分で収穫しないと行けません

その時になって後悔しても遅いのです

あなたの周りに人の悪口や不平不満ばかり言っている人は居ませんか?

悪口への対処法は、悪口を聞いても自分は言わない

悪口を言っている人と距離を置く

人の行動を習慣化させるには30日、人の思考を習慣化させるには180日

悪口に花を咲かせていると180日であなたも悪口を言う側の人間になっていきます

人の心を惹きつける

今から遡ること150年以上も前、アメリカの歴史で唯一の内戦である「南北戦争」が起こりました

この戦争の中で、北軍のリンカーン大統領が「奴隷解放宣言」を行います

リンカーン大統領の最期を見守ったスタントン陸軍長官曰く

「この人ほど完全に人の心を支配できた人はいない」というほど人の心を掴むことに長けていたそうです

何故リンカーンはそれほどまでに人の心を惹きつける人望があったのでしょうか?

1863年7月、南北両軍の激戦が繰り広げられました

戦いが始まってから4日目の夜、北軍のリーダーであるリンカーンは、南軍が豪雨によって後退を始めたものの、

ポトマック河が氾濫して立ち往生していることを知りました

リンカーンは、南軍を壊滅させ戦争を終らせるチャンスだと思い北軍の指揮を執る

ミード将軍に「作戦会議は抜きにして時を移さず追撃せよ」と命令しました

この命令は、電報でミード将軍に伝えられ、次に特使が派遣されて、ただちに攻撃を開始するように要請されました

ところが、ミード将軍はリンカーンの命令と全く逆の行動をとります

リンカーンには色々と言い訳をして命令を拒否し続けたのです

時期に河の氾濫はおさまり、リー将軍率いる南軍は向こう岸に退却してしまいました

読まれない手紙

この命令違反に対してリンカーンは激怒し、ミード将軍に向けて1通の手紙を書きました

拝啓

わたしは、敵将リーの脱出によってもたらされる不幸な事態の重要性を、貴下が正しく認識されているとは思えません。敵はまさにわが掌中にあったのです。追撃さえすれば、このところわが軍のおさめた戦果とあいまって、戦争は終結にみちびかれたに相違ありません。しかるに、この好機を逸した現在では、戦争終結の見込みはまったく立たなくなってしまいました。貴下にとっては、去る月曜日にリー将軍を攻撃するのがもっとも安全だったのです。それをしも、やれなかったとすれば、彼が対岸に渡ってしまった今となって、彼を攻撃することは、絶対に不可能でしょう。あの日の兵力の3分の2しか、今では、使えないのです。今後、貴下の活躍に期待することは無理なように思われます。事実、わたしは期待していません。貴下は千載一遇の好機をのがしたのです。そのために、わたしもまたはかりしれない苦しみを味わっています。

1863年に書かれたこの手紙は、彼がどれほど腹を立てて書いたかが想像できると思います

ミード将軍はこの手紙を読んで、どう思ったでしょうか?

しかしミード将軍はこの手紙を読みませんでした

実は、リンカーンがこの手紙を投函しなかったのです

この手紙は、リンカーンの死後に、彼の書類の中から発見されました

デール・カーネギー氏は、名著『人を動かす』の中で、このエピソードにおける当時のリンカーンの心情を考察しています

リンカーンはこの手紙を書き上げた後、しばらく窓から外を眺めてこんなことを思ったのではないかと

「待てよ、これは、あまり急がないほうがいいかもしれない。こうして、静かなホワイト・ハウスの裏に座ったまま、ミード将軍に攻撃命令をくだすことは、いともたやすいが、もしもわたしがゲティスバーグの戦線にいて、この1週間ミード将軍が見ただけの流血を目の当たりにしていたとしたら、そして、戦傷者の悲鳴、断末魔のうめき声に耳をつんざかれていたとしたら――たぶん、わたしも、攻撃を続行する気がしなくなったことだろう。もしわたしが、ミードのように生まれつき気が小さかったとしたら、おそらく、わたしも、彼と同じことをやったにちがいない。」「それに、もう万事手遅れだ。なるほど、この手紙を出せば、わたしの気持ちはおさまるかもしれない。だがミードは、どうするだろうか? 自分を正当化して、逆にこちらを恨むだろう。そして、私に対する反感から、今後は司令官としても役に立たなくなり、結局は、軍を去らねばなくなるだろう。」

そこで、リンカーンは前述のとおり、この手紙をしまい込んだ

カーネギーはこう考察しています

友達と仲間

あなたの人生において1番気をつけなくてはいけないのは、強い人ではなく弱い人です

愚痴や不平不満、他人の悪口を言ってしまう人は、弱い人なのです

弱い人は、強い人の影に隠れて誹謗中傷や悪口を使って他人を蹴落として自分が優位に立とうと思っています

賢いあなたは騙されませんが、全ての人が賢い訳ではありませんし、騙されないと思っている人程、詐欺にあうとも言われます

他人の評判が落ちる噂を言いふらす人は、噂話が攻撃方法になっています

嫌いな人や足を引っ張りたい人と直接言い争うとトラブルになり自分にもリスクが伴いますが噂を立てることでなら、

ターゲットに知られるリスクは低く遠回しに攻撃できます

標的を陥れるために、誇張した話や作り話を拡散するパターンもあります

嘘の噂を流す人の心理とは、なんでも人のせいにする気持ちから【被害者ぶる】人たちです

実際は自分が先に嫌なことをしたのに、肝心の部分は伏せて、ターゲットを私を嫌っているひどい奴と言います

要するに【片面提示】をするのです

自分に非があったとしても、相手が怒ってきて私は嫌な思いをしたと相手を非難します

自身にとって都合のいい内容の話だけを周囲にするのです

本人は、自分が見えていないため、嘘をついている自覚がないことも多いです

自分がその集団の中心人物になりたいので、グループの不和を招くような嘘を吹き込むといったケースもあります

嫉妬や意地悪から噂を広める人も存在します

周りの人に標的のことを嫌いになってほしいので、悪意を持って噂話を流すタイプもいます

気に食わないという理由で相手の不利になる噂をばらまく人は、単純でわかりやすいです

その人に特に恨みもないのに、まったくのデタラメを触れ回る人もいます

自分がもてはやされないのが悔しかったり、みんなが仲よくしているのが妬ましくて(自分が得られなかった幸せ)、

人間関係をめちゃくちゃにしたくなるのです

ただし噂を信じる人の心理は、自分が信じたいからです

人間には、自分の信じたいものを信じようとする心理があります

例えば、嫌いな人のよくない噂にすぐに飛びつく人は多いです

なぜなら、相手のことを悪い奴だと思いたいからです

憶測でものを言う人の場合は、自分がこうであってほしいと望んでいることを他人に語っているのです

噂話では、ある事を証明する事は容易いが、無い事を証明する事は理論上不可能なのです

伝言ゲームや思い込みによって無責任に尾ひれがつき、噂がひとり歩きします

こうして、身に覚えのないデマが流されるわけです

世の中には、様々な人がいます

悪意を持って噂話しを流す人は一定数必ず存在しています

特に弱い人間から発信される情報には気をつけましょう

フェイクニュースが溢れる情報社会、働いても働いてもデフレ時代で上がらない賃金、

世の中に対する漠然としたフラストレーション(欲求不満)が溜まっている昨今

様々な出来事に対して視座を上げて考えていく習慣が必要のようです

偉人は考えを論じ、凡人は出来事について話し

つまらない人間は噂話をする

友達とは終わった過去について語り

仲間とはこれから来る未来について語る

~冒険の作法~

―仕事と人生がもっと豊かになる―

毎日が聖燭節「恋はデジャ・ブ」

この物語は、冒険の作法と言う小阪裕司氏の著書に書かれている一節にある映画のお話です

ある日事件が起こる。

この事件と言うのが毎日を繰り返すと言う不思議なあれです。

主人公のフィルが毎日繰り返すことになる日は二月二日

主人公の名は、フィル。

TVキャスター。

場所はペンシルバニア州のパンクスタウニーという町。

この日この町は伝統の祭り聖燭節(せいしょくせつ)

この日冬眠から目覚めるウッドチャック

(ラグビ―ボールぐらいのもぐらの事である)

春の襲来を占う祭りの日です。

フィルにとってはこんな田舎町のぐだらない祭り。

こんなもの取材していたら将来のないキャスターだと思われると

まったく乗り気でない。

当の取材でのコメントも

『天気を予測するというウッドチャックの正体に、今年もせまることができず残念ですが、僕は今年もここにこられて幸せです。パンクスタウニーから、コナーズがお届けしました。ごきげんよう。』

と平凡なもの。

プロデューサーのリタは、『笑顔ぐらいして。撮り直しましょうよ』と言うが、

フィルは『ごめんだね。もうさっさと帰ろう』と足早に会場を去る。

ところが吹雪で帰れなかったんですね。

そこでまた元のペンションに引き返して、ペンションに泊まる。

ベッドで寝る。

そこまでは別に何気ない出来事だったんですが、次の日の朝、フィルが六時の

目覚ましで起きてみると『昨日』と同じ日が始まったのです。

実はそれが事の始まりで、またその日一日を過ごして寝てみると、

朝起きたら同じ日が始まる。

つまり明日がこないわけです。

なんどやっても明日がこない。

自分だけは昨日といっても—-同じ日

二月二日ですが—の記憶がある。

しかし周りの人はまったくない。

そんな中、毎日毎日『今日』を繰り返していく。

こんな奇妙な事件です。

毎日、毎日『今日』が始まる。『明日』が来ない。

こんなことがほんとうにあったら。

ところであなたは、もし『明日』が永遠に来ないという事を知ったら、何をしま

すか、『今日』?

『今日』が永遠に繰り返されるとはどういう事を意味するか。

たとえば今日、仮にあなたの口座に一千万あったとしよう。

その一千万を今日使い切ったとしても、明日には口座に全額が戻っている

っていうことです。

そういうことですが、あなたならたとえば何をやるか。

お金を使っても、結局減らない。

悪い事をやって、捕まったって、明日朝起きればまたベッドの上。

結局牢屋に入っていない。

で、主人公のフィルは何をしたか。

やっぱり悪い事をしました。

酔っ払って車を運転して警察に悪態をついて、そんなふうに毎日狼藉を働く。

でも、そんなことを毎日やっていると飽きるのですね。

そこでフィルは次に何を始めるか。

実は彼は同行している女性プロデューサーの『リタ』のことが好き。

でも普段は『好みじゃない』って悪態をついているのです。

なんにせよ彼は何度でも『今日』をやり直せるから、文字通り

『今日』の口説き作戦を毎日やり直す。

どんどん学習して、どんどん段取りがよくなっていく。

ま、あくまでもテクニカルに。

で、ついにはリタを口説くのもいやになる。

だんだん毎日やる何にも情熱を持てなくなる。

例の朝の聖燭節の取材も毎日、もうフィルにとっては何十回もやっているので、

これも思いっきり投げやりになってくる。

テレビ中継でのレポートコメントもこうなってきます、

『ばかげた話です。何千という人たちが、寒さに震えながら、もぐらをおがむために待っているんだから。ナンセンスですよ。この祭り、昔は意味があった。もぐらを引っ張り出して食べたんですから。皆さん!気取ってないで食べちゃいましょう!』

もう、最初の笑顔なしの平板なコメントどころじゃないですね。

フィルはもう仕事はおろか、毎日のすべてに絶望的な気持ちになり、

もうやることがない。

そこでフィルはどうしたか。

自殺します。

車で崖から飛んで。

ところが朝起きたら、六時のめざまし、同じベッドの上だ。

また戻っている。

結局死ねない。

今度はペンションのトースターを、自分が浸かっている湯船の中に投げ込んで

感電死してみる。

死ねない。

次はトラックに轢いてもらう。

死ねない。

飛び降りてみる。

死ねない。

また同じベッドでの六時が来る。

【そして彼は変わった】

死ぬこともできないとわかったとき、フィルは変わり始めます。

スリッパを揃え始めるわけじゃないけれど

ホームレスのお爺さんに親切にする。

気から落ちる少年がいたら受け止める。

パンクして困っているご婦人グループがいたらパンクをなおす。

肉をのどに詰まらせて苦しんでいる紳士のつかえを取ってあげる。

その後ろの席の女性のタバコに火を点けてあげる。

など

取材は朝早くから撮影なので、そこでリタやカメラマンのラリーのために

コーヒーやパンを買っていってあげたり、いろいろなことをし始める。

さらに彼は、今度は本を読み始める。

ピアノも習い始める。

仕事に対しても。

取材の前にフィルがリタとラリーに言います。

『今、祭りの委員長と話をしていたんだけど、カメラをもっと近くの位置に寄せた方が良いって言うぜ、どうだい』

彼らにとっては初めての『今日』だから、昨日まで全然やる気のなかった

フィルが、がぜんやる気のある態度。

少しキョトンとしている。

で、ラリーが『あぁ、いいね。移そう』

リタも『気がつくのね』って言った

フィルが、『僕の番組ですから。』

もう、別人のように。

テレビ中継でのレポートコメントも変わります。

『劇作家のチェホフは、長く続く冬を、暗くも哀しく希望がないと表現しました。でも冬は自然のサイクルのひとつにすぎません。ここに立って、パンクスタウニーの人々の温かい心に囲まれていますと、長い冬も、控えめに輝く美しい季節に思えます。フィル・コナーズがお伝えしました。ありがとう』

そうして彼は『昨日』よりも『今日』

『今日』よりも『明日』へと1日1日を大切に生きていく。

さて、

主人公 フィル。その後の運命は? DVDをご覧下さい。

1993年のアメリカ映画 “Groundhog Day

邦題「恋はデジャ・ブ」

この映画の教訓を私はこう思う。

たった1日。ただの今日。

主人公が感謝の気持ちを持って今日から自らの行動を変えた事で

周囲の人達の行動がたったの『1日』でどんどん変わっていく。。。

人生にとって幸も不幸もすべては、自らかが招く事なのではないだろうか?

この冒険の作法─仕事と人生がもっと豊かになる─

と言う本は今できることを通じて『最高の自分を見つける冒険を始めよ!』

人は、生きながらに生まれ変わる事が出来るのだから。

そう考えれば、人生は一度じゃない!

自分の行動次第で、何度でも生まれ変わる事が出来るし

今に満足出来ないのであれば、自らの行動を変える事で

未来を豊かに変える事ができるかもしれないですね

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